たゆたえど沈まず

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栗岩

管理人  [ 栗岩 ]

国立科学博物館・博士研究員
(兼)
神奈川県立 生命の星・地球博物館
博士研究員(外来研究員)

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(ほったらかし中)
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        2012-11-06       Monument

福島第一原発の看板

6巡目の一時帰宅。
今までは自宅と富岡町内しか見てこなかったが、
今回初めて大熊町を通り双葉町まで、国道6号線沿いに北上してみた。

大熊町に入るとやはり空間線量はグッと上がるが、思ったほどではなかった。
ただ、谷のようになっている場所では放射性物質が溜まっているのだろう、非常に高い線量値が出た。

最も空間線量が高かったのは、福島第一原発そばで約 29 μSv/h(毎時マイクロシーベルト)。
夜ノ森の自宅周辺は約 3 μSv/hなので、約10倍だ。

「あの」看板

双葉町へ入る。
無人の、荒れ果てた町にたたずむモニュメント。
ある意味この双葉郡を象徴することになってしまった看板だ。

警戒パトロール中のパトカーが

看板の写真を撮っているとパトロール中の警察が。
警戒区域なので至るところをパトカーや救急車が見回っている。

今回は警戒区域入口の検問が愛知県警、警戒区域内のパトロールが福島県警と福井県警だった。
全国各地の警察官が交代で派遣されて来るのだ。

震災の爪痕

双葉町のパチンコ店。地震で倒壊寸前のまま放置されている。
鉄筋の建物がここまで傾くということは、おそらく手抜き工事だったんだろう。

田んぼは一面セイダカアワダチソウ

田んぼはセイタカアワダチソウに覆い尽くされ、一面真っ黄色だ。

野良牛

自宅での片付けを終え、時間になったのでスクリーニング場所へ戻る。
途中、富岡第二中学校付近を見ながら住宅街を走っていると、大きな黒い動物が・・・

野良牛

野良牛だ。この住宅に3頭の群れ、近くの道路を横切る別の1頭、合計4頭を見た。
捕獲作業は行われているものの、まだ野良で行きぬいている個体も多い。

富岡川

橋の上から見た富岡川。
きれいだ・・・。
だが、もうここで遊べる日は来ないだろう。

富岡川

川面を覗きこむと・・・

富岡川にサケが上る

サケが何匹もいて、産卵していた。
下流にある簗場(やなば)が津波で流されてしまっているため、サケがかなり上の方まで上がってきて産卵している。
昨年9月に知り合いが一時帰宅した際に見た時は、川面がサケで埋まっていたそうだ。

福島県の浜通りでは浪江町の請戸川のサケが全国的にも有名だが、その請戸地区もまた津波で壊滅している。
請戸の簗場は見る影もないだろう。

野良ダチョウ

おまけ。
昨年12月の一時帰宅の際に撮った野良ダチョウ。
ヨークベニマル裏にて。

大熊町のダチョウ牧場から逃げ出したダチョウがこのあたりに住み着いている。
(現在でも野良で生きているかどうかは不明)

写真
Nikon D3 + AF-S Nikkor 50mm F1.4G
Nikon D700 + AF-S Nikkor 35mm F1.4G
Canon IXY DIGITAL 510IS

        2012-11-02       6巡目の一時帰宅

いつかの富岡町

今日は代休、これからいわき市へ。
そして明日は6巡目の一時帰宅。これが年内最後の一時帰宅だ。

前回5巡目から1ヶ月と、これほど短い間隔での一時帰宅は初めて。今までは3〜4ヶ月くらいに一度だったから。
理由は二つあって、一つは前回は5巡目の最後の回で今回は6巡目の最初の回だということ、
そしてもう一つは、警戒区域が浪江・双葉・大熊・富岡の4町に縮小されたため対象世帯の数が減ったということ。

今年に限ると4回目なので、平均するとやはり3ヶ月に一度ということになる。
今は決められた候補日の中から自分たちが行ける日を選んで申請する形だが、いつでも行ける形になるといいんだけどなぁ。

写真
福島県 双葉郡 富岡町(2008年12月30日)
D700 + Ai AF Nikkor 35mm F2D

        2012-10-14       富岡町津波写真(3)

富岡町・津波の後

約1ヶ月後の4月10日。
警戒区域への立ち入りが禁止されたのは同月22日なので、この時はまだ立ち入りはできた状態だったが、
瓦礫の撤去は国道など最低限にとどめられ、このあたりは遺体の捜索が行われただけで瓦礫はそのまま放置されている。
そしてその状態は1年半が経った今でも続いている。5年後の警戒区域解除まで、瓦礫が撤去されることはないだろう。

津波によって運ばれた砂が乾き、一面が白い地面となっている。

富岡町・津波の後

手前の家は流され、土台が残るのみ。
奥の家は一階は津波で破壊され、屋根は地震で崩れたままだ。

震災当日、そして震災後の地元の写真は、これからもたまに紹介していく予定。


写真
福島県双葉郡富岡町(2011年4月10日)
Canon IXY Digital 920IS

        2012-10-11       富岡町津波写真(2)

富岡町・津波の後

3月12日 AM 6:30

継続する大きな余震と、原発への不安から眠れぬ夜を過ごした12日早朝。
既に半径10km圏内には避難勧告が出ている。
私の実家は第一原発から直線距離で約7km、第二原発からは約5kmだ。

第二原発のすぐ北側にある富岡川の河口では、津波による無惨な光景が広がっていた。

富岡町・津波の後

家々の姿は土台だけを残してすべて消え、瓦礫と、砂と、絶望が広がる。

地元に住む私の同級生が、消防団の召集を受けて最初にあてがわれた仕事。
それは、津波に巻き込まれ、流された車の中にある、年配の方の遺体の収拾作業だった。

富岡町・津波の後

下の方に見えるのはパトカーだが、警戒パトロール中に巻き込まれたのだろうか・・・。

富岡町・津波の後

子安橋に集まる警官、消防団、役場の職員たち。
立っているその場所まで、津波は駆け上がってきた。

富岡町・津波の後

漁協の建物は赤い鉄骨が残るのみ。
その鉄骨も原形をとどめていない。


写真
福島県双葉郡富岡町(2011年3月12日)
Canon IXY Digital 920IS

        2012-10-10       富岡町津波写真(1)

カテゴリーに新しく「東日本大震災」を追加した(過去の記事からも幾つか移動)。
岩手・宮城については、震災当時の様子はよく伝えられているが、福島についてはなかなか情報がなかった。
それもそのはずで、原発の件でマスメディアが怖がって入らなかったからだ。
南相馬市長がそのことを必死に訴えていたのは記憶に新しい。

福島第一原発から半径20km圏内の警戒区域については特にそうで、震災の当日にどれくらいの津波が来てどれくらいの被害があったのかなど、
断片的にあるいは少しずつ明らかになっては来ているが、映像や写真はなかなか出てこない。

私の手元にある震災当時の写真、そして一時帰宅の際に撮った写真がそういった資料の一部となればいいし、
いまだ避難している同郷の人たちの目に留まれば、それはそれで一つの意味を成すだろう。

今回の写真は、被害状況を把握するために富岡町役場の職員が町内を回って撮り集めたものをお借りした。
林さんありがとうございます。この場を借りてお礼を述べさせていただきます。

富岡町・津波01

2011年3月11日、17時11分。
富岡川の河口を逆流して押し寄せる津波を子安橋から撮った写真。
奥を見るとすでに何回か津波が来た後であるのが分かる。
(津波の第一波が到達してから1時間半経っている)

ぐしゃぐしゃになった赤い鉄骨は、津波で破壊された後の漁協の建物だ。
コンクリートの堤防と海沿いの道路も破壊され、地面は海水で浸っている。
一番奥に見えるのは福島第二原発。

川の向こうから福島第二原発までの平地では、到達した津波の高さは14m。
しかし、この写真を撮った人が立っている場所では、津波は21mの高さまで駆け上った。

富岡町・津波02

17時13分。
すでに何度かさらわれたところを、さらなる津波が襲う。

富岡町・津波03

17時15分。
子安橋の右側は、一面が海面下になっている。
もちろん建っていた家々は流されてしまっている。

富岡町・津波04

17時17分。
一枚目の写真から6分後、二枚目の写真からわずか4分後には、奥の方も海面下に沈んでいる。

富岡町・津波05

上の写真の拡大。
福島第二原発の海側の敷地が水没しているのが分かる。

写真
福島県双葉郡富岡町(2011年3月11日)
Canon PowerShot S90

        2012-10-09       5巡目の一時帰宅を終えて

警戒区域・お墓参り

5巡目の一時帰宅。
毎回、最初にお墓参りをする。
同じことを考える人は他にも多くいて、墓石の周りをきれいにして花を供え、手を合わせている家族があちこちにいる。
それにしても防護服を着ての墓参りはとてもシュールだ(笑)。

私の家の墓がある場所では、全体の3分の1くらいが墓石が倒れ、無惨な状況になっている。
倒れたり崩れてしまったお墓は重機を使わないと元に戻せないため、震災から1年半経った今でもそのまま放置されている。
倒れているのは古めのお墓が多い。幸い私の家の墓は比較的新しいものだったため大丈夫だった。

この時期はセイダカアワダチソウが大繁殖していて、道ばたの田んぼは一面真っ黄色のセイダカアワダチソウ畑になってしまっている。
お墓も雑草が生い茂り、栗岩家のお墓は奥にあるため鎌をもって草刈りをしないとお墓までたどり着けない。

ちなみに自宅の方も、家の周り、庭、家の前の道路、家の前の雑木林などところかまわず雑草が生い茂っている。
ガレージから勝手口に行く通路では、身の丈以上あるセイダカアワダチソウ、
木のように太い茎をもつまでに成長したヨウシュヤマゴボウが生い茂り、草刈りをしないと家の中に入れない。

空間線量・家の中

お墓参りを終え、防護服を新しいものに着替えて家の中へ。
前回までは累積の線量計しか貸し出してもらえなかったが、今回から空間線量計も貸し出してくれることになった。

初めて測る自宅内の空間線量。
ばらつきはあるが、1.0〜1.7 毎時マイクロシーベルト(μSv/h)。
思ったよりは高かった。

空間線量・家の周り1

家の周りは 3.5〜4.5 μSv/h。
震災の数ヶ月後に 20〜40 μSv/h あったことを考えると、まだ除染作業は行われていない状況でだいぶ下がってはいるものの、
決して低い値とは言えない。

空間線量・家の周り2

庭の茂みや玄関の外の門では、7.5 μSv/h を越える高い値が出ていた(写真は数値がまだ上がっている最中)。
これは厳しい。

今回計測した空間線量から、自宅で生活した場合の年間の被爆線量を計算すると、低く計算した場合で年間約 19 mSv。
低く計算というのは、自宅の周りでも線量の高い場所に一度も近づかずに生活するという非現実的なもの。
現実的に計算すると、やはり年間 50 mSv を超える値になる。

5巡目一時帰宅を終えて

家の中の掃除と片付けは今回で結構進んだ。
ただ、倒れた鉢の土がぶちまかれたままだったり、埃もすごく溜まっている。
もちろん電気水道ガスといったライフラインはまったく復旧していないため、掃除機をかけることはできない。
(トイレは震災前に庭の畑用にドラム缶に汲み置きしていた水をバケツで汲んできて流す)

次回は小型の発電機を購入して持ち込み、掃除機をかけようかと話している。
とりあえず5年間は帰れないことが決定しているので、ゆっくりと少しずつやっていくつもりだ。

富岡町 夜ノ森 桜通り

葉を生い茂らせて変わらずたたずむ桜並木。
自宅そばの夜ノ森公園・桜通り。

写真(すべて)
D700 + AF-S Nikkor 35mm F1.4G

        2012-10-04       5巡目の一時帰宅

After_Tsunami

月曜から昨日までの三日間、沖縄県水産海洋研究センター(旧・水産試験場)の岩本君が来館していた。
とある集団遺伝学の解析プログラムを二人であれこれいじりながら試していたのだが、何とか使えるようになった。
使ったテストモデルは集団数も少なく、各パラメーターの設定もゆるくしているが、
論文用の実データではかなり長時間の計算を要することになりそうだ。
PCを1ヶ月回しっぱなしでも終わるかどうかというところだろう。

それから明日必着で郵送しなければならない書類があったため、昨晩夜中まで、そして今日の昼過ぎまでかかって何とか仕上げた。
その後、午後から夕方まで2時間半、取材の打ち合わせ。
合間合間に科研費の申請書を書き進めているが、まだ完成にはほど遠い(館内締め切りは過ぎている)。
しんどいわ・・・。

んで今から車を2時間ほど走らせていわき市へ。
今晩はいわき市のホテルで宿泊し、明日の朝、実家のある警戒区域の富岡町へ。
5巡目の一時帰宅だ。

家族は避難先へ、私は今の自宅へ、それぞれ持ち帰る荷物を引っ張り出すので精一杯だったが、
前回4巡目の一時帰宅で、やっと家の中の片付けに手をつけることができたのだった。

2011年3月11日から1年半。
少しだが時間が動き出した。


写真
福島県いわき市四ツ倉海岸(2011年5月2日)
D700 + AF-S Nikkor 35mm F1.4G

        2012-07-10       28年目

アカハライモリ

土曜日に一時帰宅した後、荷物を車に積んだまま世田谷の両親宅へ(家族は世田谷で避難生活をしている)。
今日は代休を取り、先ほど筑波へ戻った次第。

このアカハライモリ、小学生の時に近くの田んぼで捕まえて飼い始め、今年で何と28年目になる。
東日本大震災の次の日、3月12日に家族が避難し、7月下旬にあった一回目の一時帰宅までの約4ヶ月半を自宅に放置されたまま生き抜き、今は手元で元気に生きている。

当時、自宅にはイモリ3個体(2個体が飼育して28年目・1個体は10年くらい)、シリケンイモリ1個体(25年目)、クサガメ2個体(5年目くらい)がいたが、取りに戻りたくても戻れなかった。
私は東京に住んで数年後には車を手放してしまっており、家族も車を自宅に置いて町の用意したバスで避難したため、足がなかったのだ。
車を貸してくれると言ってくれた同級生や後輩もいたが、場所が場所だけに(つまり放射能の問題)、それらは気持ちだけ受け取るにとどめた。

7月下旬に行われた第一回の一時帰宅。
ひと家族2人のみ、国の用意したバスで2時間だけの滞在。持ち帰ることのできる荷物は70cm四方のビニールに入る分だけ。動植物は持ち出し禁止。
母親と妹が自宅に入った。

環境省、福島県庁、動物保護団体・・・あちこちに電話してイモリを持ち出してもらえないか問い合わせた。
しかし、どこも犬と猫だけで手一杯で、無理だとの回答。

だから母と妹に、内緒でイモリを持ち帰ってもらった。空のペットボトルに入れ、他の荷物に紛れさせて(もちろんスクリーニングは受けている)。
クサガメは庭に逃がしてもらったが、イモリは諦めきれなかった。

だって28年だぜ?

ただ、4ヶ月半もの間、飲まず食わずで生き延びたのに、東京に持ち帰った後しばらくしてすぐにバタバタと死んでしまった。
生き残ったのはイモリ1個体のみ。
おそらく水道水をそのまま使ったのがいけなかったのだと思う。東京の水は消毒が強いからだ。
汲み置きの水を使うようにして、生き残った1個体のイモリは今日も元気に乾燥アカムシをパクついている。

クンシラン

こちらは今回の一時帰宅で持ち帰ったクンシラン。
前回(3回目)の一時帰宅は震災後一周年の前日、2012年3月10日。自宅の中の植物はカラカラにひからびていると思っていたが、
よく見るとクンシランが二つ、生き延びていた。一年間、水がまったくもらえない状態でよくぞ・・・。

持ち帰る荷物がいっぱいで車に積めなかったので、たっぷりと水をやってもう少し辛抱してもらった。
そして今回、写真左の鉢の方(花を咲かせた方)を持ち帰ることにした。

今、このクンシランは私の部屋に置いてある。
鉢から出して土と余計な根を落とし、ビニールに包んだ状態で持ち帰ったので、明日、新しい鉢に植え替える予定。

君子蘭

勝手口から自宅に入り、クンシランの様子を見に行った時、暗い玄関の中で鮮やかなオレンジの花が咲いている光景が目に入った時、思わずグッとこみ上げるものがあった。

イモリも、クンシランも、動植物の持ち出しは禁止なんだぞ!
そう、言いたい奴がいれば、何とでも、いくらでも言えばいい。何なら直接俺んとこ来てもいいぞ。

誰であろうが俺は言い返してやる。

「それがどうした。そんなこと知っとるわバカ野郎」


写真
有尾目イモリ科アカハライモリ Cynops pyrrhogaster
ユリ目ヒガンバナ科ウケザキクンシラン Clivia miniata
D700 + AF-S Micro Nikkor 60mm F2.8G(イモリ)、AF-S Nikkor 35mm F1.4G(クンシラン)

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